Mama, I want you
「意外だわ、可南子さんからお誘いを受けるなんて」
「瞳子さんと仲直りしたいと思ったの」
市民体育館の固いプラスチックの椅子に、私と可南子さんとが並んで座っている今の状況を見たら、事情を知っている人はどう思うだろうか。
「あの人の真似をしてみようと思って」
そう言って笑う可南子さんの表情は、穏やかだった。つい先日までの可南子さんとは別人のような変わりようだ。変わった理由はわかっている。あの人のせいだ。あの人は自分を傷つけた人間を恨むことなく許したばかりでなく、積極的に孤独から救おうとさえした。可南子さんだけではない。私もまた、手をさしのべられた一人だ。祐巳さまには今まで出会った他のどんな人にもない何かがあった。私は確かに、祐巳さまのなかにあるそのなにかに惹かれている……けれど。
「祐巳さまの妹。茶話会では決まらなかったそうね」
私は答えなかった。答えたくなかったし、答えることもできなかった。答えれば私のかぶっている仮面にヒビが入る。そのことを恐れていた。
「あなたは祐巳さまの妹になるべきだわ」
「やだわ、可南子さん。乃梨子さんと同じ事をおっしゃるのね」
『温室育ちの無邪気な瞳子ちゃん』の仮面を、久々に引っ張り出してみる。
「他の人はともかく……私にはあなたとこのことを話す権利があると思っているんだけど」
「なんでみんな、私なんかが祐巳さまの妹にふさわしいと思うのかしら」
「祐巳さまはあなたのことを好きだと思うわよ」
「祐巳さまは誰にでもお優しいから、勘違いしてるんだわ。他にもっと好きな一年生がいるかもしれないじゃない」
「そうね。どうしてかしらね」
どうしてかしら? なんと無責任な。そう思って口をひらきかけたところに、可南子さんは言葉を続けた。
「祐巳さまだって人間だもの、心の中にドロドロしたところはおありでしょうに、なぜあんなに輝いていられるのかしら」
可南子さんはここに座って始めて、私の方に向き直った。
「私も瞳子さんも、ドロドロに足を取られて歩けなくなって、どんどん沈み込んでいっちゃうのに、あの方はそんなどろどろを乗り越えて、どんどん前に進んでいく」
私は耐えきれずに視線をそらした。
「それどころか、私たちみたいな人間を見ると、わざわざ手をさしのべに来るんだわ」
「私がそんなすごい人の妹になんて、なれるわけないでしょう。ロサ・キネンシス・アン・ブトゥンの妹になるということは、いずれは薔薇さまになるのよ。全生徒が憧れる存在。私がそんな風になれると思うの?」
無意識に握りしめていた両手を、そっとほどいた。手のひらに爪が食い込んで、内出血を起こしていた。
「私はもう姉も妹も欲しくない」
「潔癖ね」
それきり、可南子さんはなにも言わなかったので、私も口を開かなかった。剣道の試合を目で機械的に追ってはいたものの、どちらが勝ったのもわからない有様だった。
「行きましょうか……」
試合が終わった後も、席に座ったままぐずぐずしていたせいで、場内も通路もガランとしていた。
「あなたが祐巳さまの妹になるべき理由。もう一つあるわよ」
「しつこい方ね」
笑って言い返す。それぐらいの演技をできる程度には、私は回復していた。
「それで、どんな理由かしら?」
「あなたが一番強く祐巳さまを求めているから、かしら」
同じ方向に歩いていたので、顔を見られなくて良かった。奇妙なことに、最初に思い浮かんだ考えはそれだった。
見透かされた。カッと頬が熱くなる。複雑に混じり合い、渦巻いて、噴きこぼれそうになる感情を「おーっほっほっほ」とわざとらしい高笑いでごまかしても、不快感が滲むのは隠しようがなかった。
「可南子さんっておっかしぃ」
そう笑い飛ばした声は、今日最低の演技だった。