I need to be in love.
三学期の始業式、あちこちで新年の挨拶をする声が聞こえるが、瞳子に話しかけて来る生徒はいない。ざわめきの中、ひとり廊下を歩く。孤独は寂しいが、いまはその寂しさがありがたい。
廊下の向こうに、いまいちばん遭いたくない人の顔を見つけて、思わず立ち止まってしまったが、このまま踵を返すのもわざとらしいと思い、瞳子は再び歩き出した。
「ごきげんよう、ロサ・ギガンティア」
それでも、先に白薔薇さまに挨拶してしまう。祐巳さまの反応を見るのが怖くて、ほんの数秒なのに、あとまわしにしてしまう。白薔薇さまはそんな瞳子の心のざわめきなど意に介さないように、いつものやわらかいほほえみを返す。
「ごきげんよう、ロサ・キネンシス・アン・ブゥトン」
この名前で祐巳さまに呼びかけるのは始めてだった。「祐巳さま」というたった四文字の言葉を発することが、これほど心に重くのしかかるとは。そんな内心を押し隠しつつ、瞳子は、祐巳さまに向けて微笑んだ。今日はじめて祐巳さまの顔を正面から見て、瞳子は胸が締め付けられたように感じた。前もって身構えていなければ、表に出てしまっていたかもしれないほどの衝撃だった。
「ごきげんよう、瞳子ちゃん」
祐巳さまの声も表情も、あまりにも痛々しかった。なぜこの人は、こんなに無防備でいられるのだろう。自分の内面を見透かされることが怖くないのだろうか。怖い。怖い。怖い。この人といると、自分がかぶっている仮面が薄汚れた醜いものに思えて、それは今まで演じてきた自分を否定されるようで怖い。でもその一方で、どうしようもなく祐巳さまに惹かれている自分がいることを否定できない。
「私たち薔薇の館に行くから、またね」
白薔薇さまが、そう言って祐巳さまを連れて行ってくれたので、内心助かった。あと一分あのまま祐巳さまと対峙していたら、自分はどうなってしまっただろう。
『素直に生きるのはとても勇気がいることだけれど、その分得る物も多いのよ』
祥子さまの言葉が、不意に脳裏に蘇った。けれどもう遅い。自分と祐巳さまの間には、かたく生い茂ったいばらの壁がある。自分が傷つくのも厭わずにそれを乗り越えようとした祐巳さまを、自分は拒絶したのだ。
「まあ、紅薔薇のつぼみ、どうなさったのかしら」
通りすがりの生徒の声が、物思いに沈みかけた瞳子の意識を現実に引き戻した。白薔薇さまにすがりつくようにして歩く祐巳さまのうしろ姿は、あまりにも弱々しく、頼りなげに見えた。自分のせいだ。そして今後も自分に会う度に、そんな姿を見知らぬ生徒に晒すことになるのだろうか。瞳子はその想像に耐えられそうになかった。いっそ自分を憎んで罵ってくれれば、せめてまったく無視してくれればいい。瞳子の心にひとつのシナリオが浮かびつつあった。