革命の薔薇

「そういえば、瞳子のことを呼び捨てにするようになったのって、マリア祭がきっかけだったよねぇ」
 マリア祭の準備も佳境に入る五月頭、新入生に授受するおメダイのチェックはもっとも気を使う部分だ。新入生にとっては、憧れの薔薇さまからいただく大事なおメダイ。ただ一人のお姉さまからいただくロザリオほどではなくても、それは大切な思いを託すものだから、汚れや傷のないよう、細心の注意を払う。そんな気を使う作業が終わって、ほっと気が抜けたのか、乃梨子ちゃんが隣で同じ作業をしていた瞳子ちゃんに、一年前の思い出をぽろりと漏らした。
「そう、あのあと乃梨子ったら、いっくら言ってもさん付けに戻さないんだもの。リリアンではみんなさん付けなのに、一人だけそんなことをしていたら、お姉さまの躾がなってないって言われてしまうわ」
 乃梨子ちゃんは志摩子さんとちらりと視線を交わして微笑み合う。いつまでたっても初々しさの残る白薔薇姉妹は、これまた揃って祐巳の方を見た。
 そうでした。ふたりがロザリオの授受を行って姉妹になるきっかけを作ったのは、祐巳のお姉さまである小笠原祥子さま。お姉さまが卒業されてしまった今では、白薔薇姉妹の他にあの事件を知っているのは、祐巳だけだった。
 あのころは祐巳自身も、祥子さまとの間ですれ違って悩みを抱えていた。でも今になってみれば、そうやって悩んでいた日々ですら、輝くようなきらめきを伴った思い出として心にうかぶ。瞳子ちゃんもいつか、祐巳との衝突の日々を、そのように思い出してくれるだろうか。
「ですよね、祐巳さま」
「へっ?」
 なんて物思いにふけっている間に、いつの間にか祐巳は話の主役に引っ張り出されていたらしい。
「気の抜けた返事をしないでください。祐巳さまは紅薔薇さまとしての自覚がなさ過ぎます!」
 瞳子ちゃんがテーブルの上に広げたプリントを、荒っぽく音を立ててかき集めながら、祐巳の方をわざと見ずに言った。
「ほらまた、お姉さまでしょ?」
 乃梨子ちゃんが瞳子ちゃんを突っつく。
 なるほど、そういうことか。祐巳も実はずっと気にしてはいたのである。さてどうしたものか。ここで偶然を利用して、むりやりにお姉さまと呼ばせてよいものかどうか。瞳子ちゃんは一年前の今頃も、その時の状況に合わせて「ロサ・キネンシス」と「祥子お姉さま」を上手に使い分けていた。だから今も、なにか考えがあるのではないか。なんて思いつつも、あるいはひょっとしたらひょっとして、去年の祐巳みたいにどきどきしちゃって照れて「お姉さま」と呼べずにいるとか? なんて、そうだったら嬉しいんだけど。そんな考えでいたせいか、ついぽろりと口にしてしまったのだ。
「そうね。お姉さまって呼びなさい」
 わわわ。言ってしまった。お姉さまならこんな時どうするだろう。そう確か。
「今後、私は瞳子ちゃんに『祐巳さま』と呼ばれても、返事をしないことにしましたから」
 あれ? これって今の状況で言ってよかっただろうか? なんて反省する暇も与えず、瞳子ちゃんの反撃が始まった。
「それをおっしゃるなら、祐巳さまこそ、瞳子のことをちゃんづけで呼ばれるのは『お姉さま』らしくありませんわ」
 瞳子ちゃんはぷいと横を向く。ああ、揺れる縦ロールは可愛いなあ。なんて場違いなことを考えながら、祐巳は首をかしげて答えた。
「えー、そうかなあ?」
「そうです、ロサ・フェティダロサ・ギガンティアも、妹のことはさんをつけないで呼んでるじゃないですか」
 なるほど、ごもっとも。部屋をぐるりと見回すと、由乃さんと志摩子さんもうんうんと頷いている。
令ちゃんの場合は物心ついたときには『由乃』って呼ばれてたから参考にならないけど、菜々のことは最初から『菜々』だったわよ」
 由乃さんの言葉に、菜々ちゃんが「ええ、そうでしたね」ってかわいらしくうなずく。
「私もお姉さまからロザリオをいただく前から『志摩子』だったわね。乃梨子のことも、自然に『乃梨子』って呼んでたわ」
「呼び捨てにしたりされたりって、なんだか親密な雰囲気ですよね」
 志摩子さんに続いて、乃梨子ちゃんまでが絶妙なタイミングで瞳子ちゃんを支援する。これはどうも、瞳子ちゃんを『瞳子』と呼ばざるを得ない雰囲気になってきたようだ。
 そう呼びたくないわけではない。むしろ、ずっとそう呼びかけたいと思ってはいたのだ。
ただちょっと気恥ずかしかったのである。乃梨子ちゃんの言うとおり、呼び捨てにはとても親密な感じがある。その親密さが。
 リリアンの全生徒の中で、いったい何人が瞳子ちゃんを「瞳子」と呼び捨てにするだろうか。「お姉さま」のようにただ一人と決まっているわけではないが、やはりそれはかなり特別な関係なのである。その関係に踏み込むための、あと一歩のちょうどいいきっかけではないか。
「よし、わかった。やりましょう。これからは呼び捨てにする。ねっ、瞳子
「ゆ、祐巳さま?」
 突然の祐巳の宣言に、瞳子は目を白黒させている。
「違うでしょ、瞳子。お・ね・え・さ・ま」

次回予告

 復讐の鬼、白薔薇のつぼみ! リリアンの平和を破る、薔薇の館の惨劇! 紅薔薇姉妹を追い詰める復讐鬼の罠とは! ロザリオはなんでも知っている。次回「白薔薇の復讐」

昨日投稿し忘れてた

 というわけで一日ずれちゃった。