白薔薇の復讐

「それを言ったら、瞳子こそ、祐巳さまのことお姉さまって呼んでないじゃない。ちゃんと呼ばないといけないんじゃないの?」
 トクン。瞳子の胸が高鳴る。慌てて祐巳さまに目をやると、祐巳さまは何か考え込むように視線をさまよわせていた。それを破るように乃梨子祐巳さまに声をかける。
「ですよね、祐巳さま」
「へっ?」
 祐巳さまはほけっとした顔で乃梨子瞳子を交互に見やる。
「気の抜けた返事をしないでください。祐巳さまは紅薔薇さまとしての自覚がなさ過ぎます!」
 乃梨子に腹を立てているのに、どうしてお姉さまに対してこんな言い方になってしまうのか。瞳子はそんな自分がまた腹立たしくて、目を通し終わった机の上のプリントを集める動作がつい荒くなる。
「ほらまた、お姉さまでしょ?」
 乃梨子には手をゆるめるつもりがないようだ。むっとして黙り込んだまま、しかしプリントなんてすぐまとまってしまって手持ちぶさたになってしまい、ふと目を上げると、祐巳さまの表情が見えてしまう。
 祐巳さまはまた何か考え事をしていた。その表情をふいに緩めて笑顔を浮かべたと思うと、とんでもない爆弾を瞳子の心に投げ込んだ。
 あろうことか乃梨子の言葉にのっかって、「お姉さまって呼びなさい」? おまけに「『祐巳さま』と呼ばれても返事をしない」ですって?
「それをおっしゃるなら、祐巳さまこそ、瞳子のことをちゃんづけで呼ばれるのは『お姉さま』らしくありませんわ」
 そう言い捨ててプイと横を向く。わかってる。自分はただ照れくさいのだ。だからこんなふうに、キツくはぐらかすような言い方をしてしまうのだ。それなのに祐巳さまときたら、暢気な声で「そうかなあ?」なんて。
「そうです、ロサ・フェティダロサ・ギガンティアも、妹のことはさんをつけないで呼んでるじゃないですか」
 どうだ。瞳子の言葉に、ロサ・ギガンティアロサ・フェティダもうんうんと頷いている。
令ちゃんの場合は物心ついたときには『由乃』って呼ばれてたから参考にならないけど、菜々のことは最初から『菜々」だったわよ」
「私もお姉さまからロザリオをいただく前から『志摩子』だったわね。乃梨子のことも、自然に『乃梨子』って呼んでたわ」
 形勢逆転。祐巳さまは腕を組んで「うーん」と何かを考え込んでいる。これで祐巳様だって、いくら薔薇の館の仲間とはいえ、呼び方のことをあれこれ口出しされることがどんな気分かわかっただろう。取り下げるところまでは行かなくても、口うるさく言わなくはなるだろう。瞳子はまだまだ、自分の「お姉さま」の大きさを理解しきれていなかった。
 祐巳さまは意を決したように大きくうなずくと、瞳をきらきらと輝かせながら、瞳子にうなずきかけた。
「よし、わかった。やりましょう。これからは呼び捨てにする。ねっ、瞳子
「ゆ、祐巳さま?」
 突然の祐巳の宣言に、瞳子はそう叫ぶのが精一杯だった。
「違うでしょ、瞳子。お・ね・え・さ・ま」
 目の端に、乃梨子志摩子さまが頷き合う姿がちらりと写る。由乃さまの表情を横目で観察すると、これまた、してやったりという笑みを浮かべている。なるほどこれは、由乃さままで味方につけた、一年越しの白薔薇姉妹の復讐劇だったか。なんと憎らしい−そしてイキなことをする親友か。
 そうなると問題は、祐巳さまがこれに一枚噛んでいたかどうか、ということだが−瞳子はお姉さまの顔を見た瞬間、その考えを捨てた。そんな演技のできる人ではない。こうなったらこちらは、せいいっぱいの演技を見せてやろう。
「おねっ」
 瞳子の意に反して、声が裏返る。満員の講堂で演じるときですら、こんなミスを犯したことはなかったのに。
「お姉さま…」
 のどの奥からどうにかしぼりだしたのは、消え入りそうなか細い声。瞳子はその声みたいに消えてしまいたかった。でもお姉さまは「はい」とよく通る声で返事をすると、太陽のような笑顔で瞳子を包み込んでくれたのだった。

一つの物語、二つの視点

 三つの宗教、四つの言語−とは続きません。狭すぎて伝わる相手が少ない。与太はおいといて、そういう話。実際に書いてみると、こんなに短くても難しい。